通訳案内士ゆめのつれづれ日記

通訳ガイドのこととか、シングルマザーの野望のこととか

被曝2年後の広島に駐留軍として1年半住んだオーストラリア兵の話

こんにちは、ゆめです。

 

今回はオーストラリアの南の町、

ポートリンカーンというところから来た

団体さんです。

 

50代男性:僕の父親は、1947年の冬から

1年半、広島の宇品に駐留軍として住んでいたんだよ。

当時の広島の写真が家にたくさんあってね、

今回はその写真と同じ風景が残っていたら

写真に収められたらいいなと思ってる。

父はまだ生きてるけど日本まで来る体力はなくてね。

父が昔の広島の話をしてくれたのをよく聞いたよ。

夜、繁華街に飲みに出かけて

夜遅くなったりすると、宇品まで帰る方法が

なくなっちゃうわけ。

路面電車が営業を終えて

そこらへんに止めてあるのを

自分たちで勝手に運転して宇品まで帰った、って言ってたよ。

運転の仕方もよくわからないままに

適当に運転して、宇品まで帰ったら

その路面電車をそこらへんに乗り捨ててたらしい。

父は広島の写真をたくさん撮ってるんだけど

見るかい??

 

ゆめ:はい!!ぜひ見せてください!!

 

宇品という町は広島市の南はしにあり、

瀬戸内海に面しています。

今は広島港があるところです。

明治時代から軍都広島の中心的な役割を果たしながら発展した町で、

原爆投下の時は、爆心地から4キロ以上離れているために

多くの建物が全壊を逃れたところです。

このお客さんのお父さんは、その宇品に

駐留軍として一年半住んだそうです。

 

わたしは通訳ガイドの仕事柄、

広島の原爆関係の写真は他の人よりは

たくさん目にしていると思います。

ですが、今回、彼に見せてもらった広島の写真は

どれも全く見たことのないものばかりで

しかも、駐留軍側の視点から撮った

レア写真ばかり!!

 

被曝後二年経った頃の広島は

けっこう建物もたくさん立ち並んでいて

復興が進んでいるのを感じました。

 

「これ、写メ撮らせてください」

と言いたいと何度も思ったのですが、

結局言い出せずじまいでした。

 

原爆で倒壊した広島城の跡地の写真や、

宇品の軍需工場?の写真、

宇品港から四国の松山に向かうフェリーの写真(なんだか漁船みたいでした)、

復興が進む広島の街並み、

オーストラリア兵が宿舎で整列している様子、

くつろいでいる様子、

どれも初めて見る写真ばかり!!

いやぁ、興奮しました。。。

 

広島にはまだたくさんの被曝建物が残っています。

宇品にも、戦時中、被服工廠(軍服などを作る工場)として

使われた建物が被曝した姿そのまま残っていたりします。

これはわたしが最近撮った宇品の被服工廠の写真ですが、

この建物も、彼はリアルに見ていたんだなと思うと

不思議な気持ちがしました。

 

ついでに、陸軍の缶詰(ビーフ缶詰)の工場だった建物は

今は郷土資料館として残っています。

これも宇品にあります。

 

広島のことを少し知れた気がした一日でした。