通訳案内士ゆめのつれづれ日記

通訳ガイドのこととか、シングルマザーの野望のこととか

オランダ人の女性がナチスドイツにとがめられて受けた懲罰

こんにちは、ゆめです。

 

広島の原爆の日が近づいているので

平和記念式典用に

テントが設営されていました。

 

今回は、オランダのアムステルダムから来た

パパ&ママと

17歳、16歳、14歳の子供達です。

 

いつも感心するのですが、

オランダ人てホントに英語が上手。

14歳の息子くんもペラペラ。

 

平和公園核兵器廃絶への署名に

サインをした後)

ゆめ:お姉ちゃんは国名のところに

Hollandって書いて

弟くんは国名のところに

Netherlandて書いてたけど

どっちが正式なの?

 

姉:Netherlandだと思うけど

Hollandもよく使う。

Netherlandって言っても通じなくて

Hollandって言ったら通じることも

多いのよね。

だからけっこう使い分けてる。

日本人はHollandって言うと

理解してくれる人が多いわ。

 

ゆめ:日本人は「オランダ」って呼ぶから

Hollandの方がピンとくる人が多いんですよね。

 

第二次世界大戦中の話題から)

ゆめ:第二次世界大戦の時のオランダって

どういう状況だったんですか?

 

パパ:オランダは第二次世界大戦中は中立だったんだけど

1940年5月にドイツが

オランダのロッテルダムを空襲して

1週間でオランダはドイツに降伏したんだよ。

ドイツの空襲で

ロッテルダムは文字通り廃墟になった。

広島の原爆投下後の写真を見て

ロッテルダムもこんな感じだったなと

思ったよ。

 

息子①:オランダは小さい国だし

弱いから、あっという間に降伏したんだよ

 

ゆめ:ドイツが侵攻した後は

どうなったんですか?

 

パパ:アムステルダムはアンネフランクで

有名だけど、

まさにあの当時、オランダは

周りの人を誰も信用できない状況だった。

僕の両親はユダヤ人ではなかったけど

ちょっとした密告で

命を落とした人もたくさんいた。

ナチスドイツがロッテルダムを侵攻した時

オランダの王族はイギリスに亡命した。

その後ナチスドイツは

オランダ人が服にオレンジ色のマークのものを

つけるのを禁止した。

オレンジ色はオランダの王室の色だからね。

オランダの王室に対する敬意を

堂々と示したりすれば

ユダヤ人じゃなくても

その場で射殺されたりしたんだ。

ぼくの母親は当時18歳で、

ついうっかりオレンジ色のマークがついた服を

着て通りを歩いたそうでね。

それがナチスドイツに見つかった。

すぐに捕まった。

普通ならその場で射殺されてもおかしくない罪

なんだけど

車で森の外れまで連行され、

夜暗くなってそこで車から降ろされて

勝手にどこかへ行け、

と言われたらしい。

ぼくの母親は真っ暗闇の中を歩き回り

次の日の夜が明けてなんとか街にたどり着いた

って言っていた。

あの場で射殺されてたらぼくは

今頃ここにはいなかったね。

 

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アンネフランクって

オランダの話だったんですね、、、

無知ですみません、、、汗

 

いつも思いますが、

ヨーロッパの人にとって

第二次世界大戦ナチスドイツの戦争

なんですよね。

 

世界中で多くの人が苦しんだことを

改めて感じさせられた話でした。